『 work 』の先にあるものは。

「働く」ことを考える。「働く」ことから考える。

まだ選ぶ道があるうちに

大きくなったら
ぼくは博士になりたい
そしてドラえもんに出てくるような
タイムマシーンをつくる
ぼくは
タイムマシーンにのって
お父さんの死んでしまう
まえの日に行く
そして
「仕事に行ったらあかん」
ていうんや
 
2000年にお父さんを亡くした6歳の男の子、マー君の言葉だ。「ぼくの夢」というタイトルの詩となり、20年近くたった今も大切に読み継がれている。

 

 

 あなたには帰りを待っている人がいます

 

引用:東洋経済

toyokeizai.net

 

 

 

働いているお父さん・お母さん。

待っている人たちがいる方々。

 


いろんな仕事があって、いろんな働き方があるとは思う。

でも、それは自分を犠牲にしてまでやり遂げなければいけないものか。

愛する家族を悲しませてまでする仕事なのか。 

 


責任感。大事だ。

使命感。大事だ。

自己犠牲。大事だという人はいる。

 

 
自分自身も会社を辞めた過去がある。

自分がいなければ会社はどうなるかと考えたこともある。

結果として言えば、会社はそれでも回っていった。

 

 
責任感や使命感が強いことは立派だ。

任せるほうにとっては有難い人材だろう。


仕事をしている中で、個人が埋もれていくのはよくあることだ。

みんながやっているから・・・とか

俺がやらないと・・・とか

 

忙しいは「心を亡くす」と書く。

エネルギーが枯渇している事に気が付けないほど、心がマヒしている状態。 

 


そこまで酷いなら会社をやめればいいのではと人は言う。

「心を亡くす」とそんな冷静な判断が出来ないほど病んでいくのだ。 

 

 

やめたらどうなるのか

 

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どうなるだろうか。

人によって様々だ。

 

会社から束縛されることはなくなり、心が軽くなるだろう。

その代償として収入がなくなり、それによって心の平穏がなくなるかもしれない。

 

でも、死ぬよりかはマシじゃないか。

愛する人を、大事な人を悲しませるよりかマシじゃないか。

 

エネルギーが完全に枯渇すると、現状から逃げることしか考えれなくなる。

死ぬことが楽に思えてくる。

解放してくれるとすら思えてくる。

 

それは、あなたじゃないかもしれない。

周りの誰かかもしれない。

 

声をかけよう。

自分では大丈夫なつもりでも、周りから見るとおかしくなっていることがある。

気づかせてあげよう。

気づけば対策がうてるかもしれない。

 

むやみに辞めればいいとは言えない。

その道を選んで後悔する人もたくさんいる。

俺も後悔した。

 

その時は。

 

今はその時とは全然違う仕事をしている。

今でよかったと思うことができる。

 

ただの結果オーライかもしれない。

だが「心を亡くす」前に、少し考えたほうがいいのではないか。