コロナに翻弄される日本の中で、アラフィフの生きる先に光が欲しい
健康であることと、人生を良く生きることはリンクする
日本に限る話ではないけれど、コロナによって国レベルで大きく未来が変わってしまった。
このたった1年の間に起きたことで一生が変わった人も多いと思う。
子供たちは学校の授業やイベントの変更や中止。
大学生は大学生活や就職活動、内定への影響。
勤め人はテレワークや自宅待機、営業自粛に経営不振、倒産や事業撤退。
今の時点でお終いではなく現在進行形で進んでいる。
誰しもどうなるかわからない。
これから起きるすべての事は自己責任ですと切り捨てられても困るのだが。
アラフィフの僕たちもこれからまだ生きていかなければならない。
この歳になれば誰しもひとつやふたつ痛いところや気になる症状を持ちながら生きている。
考え方が若者と違うのはそこからだ。
・人生の後半戦だと意識している
・健康寿命が残りわずかだと感じる
・この先耐久力が落ちた体を使い続けなければならない悲壮な覚悟
・自分自身のみならず周囲の健康面が今後を左右する
つまり環境が詰みに近く、劇的に改善する見込みが無い状況にいる。
考え方は輝かしい未来を描かない。
白か黒かの間で、ほぼ黒に近い場所で生息するのがアラフィフの今だ。
楽しくない話題だけれど切実なので考えをまとめてみる。
人生の後半戦だと意識している
人生100年時代と言われ、定年70歳制の導入、最終的に困ったら生活保護受けて言われるなど、周りの環境は劣悪だ。
歳をとっても働くことが前提なのは受け入れている。
働ける間は働こうと思っている。
問題なのは働ける場所、働ける体があるのか、生活を守る金額を稼げるのか。
コロナによって企業体力は削られた。
枝葉を切らないと幹が枯れる。
会社に貢献した、草創期を支えた、僕たちが今の礎を作り上げた・・・
アラフィフは過去形でしか貢献度を語れないのかもしれない。
企業が必要なのは今と未来。僕たちはそれに対して何を提供することができるのだろうか?
これから先、たくさんの人員整理が行われる。
まともに再就職できる人や、スタートアップで第二の人生を歩ける人は生き残る力を持った人。
生活保護を受けられた人は救われた人。
多くの人はなんらかの生活手段を見つけなければならない。
これまでの経験と人脈を頼り、明日のご飯を確保しなければならない。
アラフィフより前の世代は年金をもらえる安全圏にいると言われたものだが、そうもいかなくなった。
アラフィフにとっては少ない働き口を争うライバルがまだ残る事を意味する。
今更、今からだと言われても難しいが、どんな選択をするのであれ、早い者勝ちだ。
健康寿命が残りわずかだと感じる
人生100年時代と言われても、アラフィフの僕たちは折り返し地点にいるとは思っていない。
そもそも100年かかるレースと思って参加していないのだから。
急にゴールが遠ざけられて、まだ半分あるから頑張って走りなさいと言われても。
ツラいのは、そんな状況に置かれてしまっても文句を言う相手がいない事。
割り切って残り半分だとして50年残っている。
僕たちは定年が60歳としてスタートしている。
60歳まで働いて、年金で残りを生きていくという何となくの老後の生活を見ていた。
団塊ジュニアの塊が退職し始めたら年金が減ったり、もらえなくなったりするかもしれないとは言われてはいた。
そんなことは先の話だと、日々の忙しさの中に考える事をやめていた。
定年が70歳になったから、やれやれ更に10年働かなくてはいけなくなったと考えられる人はラッキーだ。
その人には働く場所があり、生活を守れる報酬を受け取ることができるからだ。
45歳定年説がある。
名のある大手企業がこの年齢で足切りして早期退職を求めているからだ。
今、身銭を切ってでも放出しないと企業体が生き残れないという計算だ。
つまりその場に踏みとどまっても生き場所が無くなっていくはずだ。
早期退職して別の仕事に就こうとして就職活動された人ならわかるだろう。
アラフィフに求人など無いのだ。
生活水準を守れるほどの好待遇はすでにコネクションを持っている人によって埋まっている。
残っているのは好条件以外の物だ。
それはけっして楽ではない仕事。
体の節々にリスクを抱えながら続けていく第二の人生。
ただでさえ少なくなった健康寿命を更に削っていく事を覚悟しなければならない。
この先耐久力が落ちた体を使い続けなければならない悲壮な覚悟
人という生命体の寿命は50年という設定らしい。
生まれて死ぬサイクルが50年。
現在は医療が発達していたり、食事や運動で健康的に生活している人が多いので生き残る時間が増えているという説だ。
つまりメンテナンスをさぼっていた場合、50歳をすぎたら故障だらけになるのだ。
家電製品は10年で寿命だから故障したらメンテナンスいれても無駄、買い替えなきゃねと言われるが、唯一無二のこの体はそうはいかない。
故障したら治る治らない関係なく、メンテナンスの繰り返し。
若いときは体に不調が起きても、大概の場合寝れば治った。
人という生命体が自らの力で部品を作り、自己メンテナンスしてくれていた。
その事は当たり前すぎて気づいていなかった。
そしてある時通告されるのだ。
自己メンテナンス終了のお知らせが。
自分で治していた事に気が付いたのが終了のお知らせの時だと笑えない。
薬漬けの、医者通いの始まりだ。
失ってからわかる健康のありがたさ。
これは昔から教訓として受け継がれているのだが、その教訓自体を真剣に読むのが健康を失った時なのだから救われない。
まだ健康だといえるアラフィフは気が付いて精進したのか、運がいいかのどちらかだ。
さきほど、薬漬けの医者通いと悪口のように書いたが、これで治ればまだ幸運だ。
これよりひどい現実はこの先いくらでもある。
自分自身のみならず周囲の健康面が今後を左右する
自分の人生は自分一人だけのものだという人なら、自分の生死も自分で決めればいいだろう。
大概の場合、家族や親族がいて、自分の健康が相手に影響を与えるだろうし、逆に、家族や親族の健康に害することで自分が影響を受ける事がほとんどだ。
『健康がすべてではないが、健康を失えばすべてを失う』
真理を突いている言葉だと思う。
健康は失ってないけない。
自分の為、家族の為、愛する人の為。
もし今、不健康な生活をしていると感じるならば今から変えていこう。
自分を変えられるのは自分だけだから。
コロナに翻弄されたこの世の中で身を寄せて頼るべきは己の体しかない。
お金があろうがなかろうが、時間があろうがなかろうが、健康がないと全てが崩れる。
自分の体が健康だという事は、人生の中の基礎だ。
アラフィフはこの先大きな波に飲み込まれるだろう。
耐えうる体が必要だ。
十分、健康に気を配ってほしいと思う。
全てを失う前に。